【3】
明光塾は、S東の北門の正面にある。
近代的な七階建ての建物は、厳重なセキュリティシステムに守られ、IDカードが無ければ上の階に上がることは出来ない。
それは、どうやら体の無いモノにも適用されているらしい。
もっとも、こちらのセキュリティは、もっと原始的で直接的なモノが使われていたが。
入り口には恐ろしい番犬が二匹、よだれを垂らして目を光らせていたのである。
「ど、どうしよう…」
みち子とれい子は、歩道から塾の入り口を窺って震え上がっていた。
ちょうどそこに、元気な男の子が一人走ってくる。
「うわあ、遅刻遅刻!」
近江翼、明光塾に通い始めたばっかりの真吾の弟だった。
翼本人は気づいていないが、翼には魔物を寄せつけない力が備わっている。
以前、魔界から召還された悪魔と戦って勝った時から、翼の体にはそういったものに対する耐性が出来たらしい。
入り口の番犬は、翼を見るなりおとなしく左右に膝をついた。
「チャンスよ、れい子さん!」
みち子はれい子を引っ張ると翼の方に飛びついた。
いきなり二人に乗られて翼の肩はずっしりと重くなるが、遅刻寸前の翼はそれどころではなく、そのまま入り口を走り抜けた。
塾の中でも、同様の問題が二人を待っていた。
リノリュウムの床も、天井も、埋め込まれた間接照明が快適な空間を演出している。
だが、実際には、間違って入り込んできた霊を絡めとるために、巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされていた。
どこからか、なにかの断末魔の悲鳴が聞こえてくる。
二人は翼の方から下りることが出来ず、困り果てていた。
翼は二階の教室に向かっているようだ。
このまま教室に入られては、授業が終わるまで動くことは出来ない。
れい子は意を決してみち子に話しかけた。
「こうなったら、悪いけどこの子にトイレに入ってもらうしかないわね」
「で、でもれい子さん、だとしたら男子トイレよ」
「背に腹は代えられないでしょ!行くわよ」
『トイレに行きたくなる!』
れい子は翼の耳にそう囁いた。
途端翼は顔をしかめて首を傾げる。
「あ、あれえ、便所行きたくなっちゃった。おっかしいなあさっき行ったばっかりなのに…」
翼は教室を目前に、トイレの方角に向きを変えた。
【4】
「それでは、これで定例議会を終了します。執行部はそれぞれの学校に今回の決定を持ち帰り、速やかに対処してください。以上」
「起立、礼!」
光宮征徒会の執行部八名、一糸乱れぬ動きで立ち上がり鷲に向かって礼をする。
征徒会長は無言で頷き、それに応えた。
きびきびとした動きで全員が退出するのを待って、貴子は鷲に話しかける。
「S東の宮窪から連絡が入っております。おつなぎしますか?」
時計はすでに十二時を回っている。
定期連絡でないのは明らかだ。
「宮窪から?わかったつないでくれ」
「はい」
光宮征徒会のマークの染め抜かれた白いタペストリがスクリーンに変わる。
スクリーンには、少し青ざめた宮窪圭次がうろたえた様子で映し出された。
「どうした、S東の聖徒会長から何か連絡でもあったのか」
はやる気持ちを抑え、鷲は宮窪に話しかけた。
『いえ、北條遥都の行方につきましては未だ何も…』
明らかな落胆のこもった声で鷲は続ける。
「では、いったい何の用だ」
『はい、校内に放してありました番犬が、何ものかの手によって一掃されてしまいましたので、大至急、代わりのものを送っていただきたくご連絡を申し上げた次第です』
「何?ガルムを一掃しただと?いったい誰がそんなことをっ!?」
思わず鷲は立ち上がった。
その顔にははっきりとした驚愕が浮かんでいる。
『地獄の番犬』の異名をとる獰猛な魔犬ガルム。
よほどの手だれでない限り彼らを倒すことは難しい。
まして、S東に放たれていた彼らの数は全部で六体。
学校霊ごときが一掃することなど出来るはずなかったのである。
『わかりません、現在調査中ですが、学校霊どもが意外に手強く苦戦しております』
「ええい、不甲斐ない!僕のユニットを六体送る。それで捩じ伏せてしまえ」
『は、わかりました。必ず』
映像が切れる。
鷲は深いため息をつくと、少し乱暴に椅子に腰を落とした
『ユニット』と彼らが呼ぶ異界の存在は、召還されたのち契約によって主と定めた者に付き随う。
魔物は、この世で存在するための力を主の呪力に求めるため、ユニットの発動中、主は大変な集中力を要求されるのだ。
ほぼ力の釣り合った相手が召還に呼応するためか、一人につき一体(中には三人で一グループと言う例もあるが)の関係が普通であった。
だが、鷲はそのユニットを同時に七体使う。
やはりその能力は桁外れと言えただろう。
暗号名は“七使徒(セブン)”
七つの大罪を模した凶悪な魔物たちだった。
瞳を閉じて、光宮征徒会長は自らのユニットを同時に六体発動した。
<天使降る丘> 1 2 3